月に叢雲、花に風

 

 某日の深夜。某国のある研究室にて男は瞠目していた。
自身が携わっていたモノの実態・危険性を知ってしまったからだ。
「な、なんということだ…」
男は、国家機密で漏らすことは許されないその事項の危うさをどうにか世に知らせる事は出来ないか?そう考えるまでに至っていた。
事態は急を要する。
家族の身の安全も考えねばならない。下手をすれば轍鮒の急になりかねない。
色々思案した後、意を決して行動に起こした。

 その様子を影から窺っていた一人の人物の目が怪しい光を帯びているのも知らずに…

──月に叢雲、花に風──

 ──…街が賑わいを見せている。

ここは北部ユークリッド大陸と南部ユークリッド大陸を繋ぐローン島の近くにある街、ハーメル。

大陸北部にあるヴェネツィアとまではいかないが、大陸南部にあるユークリッド村よりは栄えている。
そんな場所に、青色がベースではあるが朱色のメッシュが入ったボブカットの髪を持ち、魔術師風のそれらしいマントや装飾品で身を包んだ青年が、久方ぶりにヴェネツィアにある彼自身の住まいから所要があって訪れたときのことだった。

通りがかった先で、彼…デミテルは、長閑な街が普段とは違う空気を纏っていることに気が付いた。
その賑やかな方向に目線をやれば、どうしたことだろう。
一つの馬車に荷物を満載にし、あたふたとその品々を家屋に運び入れてる一家に目を奪われたのだ。

どうやら、どこからか引っ越しでもしてきたのだろうか。
良く見てみれば。
年端もいかない少女が大事そうに文房具や小物をせっせと屋内に運んでいる。
書物も大量にあるようで、背表紙に書かれているタイトルに彼は見覚えのある物を見付けた。

この街の自警団の青年も手伝って積み荷を下ろしているようで。
「スカーレットさん、この本は何処に置きましょう?」
「御夫人、この食器類は…」
等と、賑やかに作業に勤しんでいるのが目に入った。

 察するところ、その大量の書物類の所持者はスカーレットという男性の物なのだろう。
「……スカーレット…?」
デミテルは、聞き覚えのある名にしばし沈思黙考し。そして、ついに答えに辿り着いた。
「……ああ…なるほど」
デミテルは、ある人物から聞かされたとある話を思い出す。
「……あれが…」
──…ターゲット、というわけですか。

意味深なキーワードを残し、彼は一旦その場から離れる。
あまり長々と眺めていても、自警団に不審人物として顔を覚えられてしまうだろう。
それはこれからの事を考慮して、デミテルとしてはどうしても避けたいことだったからだ。

「…さて。どう接近しましょうかね…」
出来る事ならば、穏便に済ませたいものですが…

等と、思案しながら彼は所要を手早く済ませ、暫くしてまた問題の場所に戻ってきたのだった。
通りすがりにチラリと目線を散らせば、まだ荷解きが行われている様で。

 カシャーンッ…コロコロコロ……
「あっ…」
少女自身の持ち物なのだろう。
小脇に人形を抱え、文具が片手に纏められてはいたがそこから何点かが零れ落ちていた。
そして、ソレがデミテルの足元にまで転がってきたのである。
「……」
これは一家に近付く良い切欠になるかもしれない。

デミテルはそう考えると、己の足元に転がり込んできた好機をものにするため
至極当然の流れのようにそれを手に取り。
「…随分と筆記具が多いようですが。
お若く見えますが勉強熱心なのですね」
どうぞ、と彼女の手にしっかりと握らせて爽やかな笑みを浮かべた。
「あ、ありがとうございます…」
通りがかりの通行人が親切にも、自分が落とした文具を拾い上げ、再度落とさないようにとしっかりと持ち直させてくれたのだ。
少女は彼の笑みに一瞬目を奪われつつも、感謝の意を表した。
「どこからか越してこられたのですか?」
デミテルはさり気なく少女から聞き出そうと世間話を交え、
見ず知らずの者に問われ不審がられないように、細心の注意を払いながらそれとなく誘導尋問にかけるかのように少女に更に話を振る。

すると、驚いたことに彼女は何の警戒を抱くこともなく彼の問いに答えるのだった。

「はい、両親の都合でミッドガルズから…」
「おや、ミッドガルズとはまた随分遠いところから…。
それはさぞ長旅でしたでしょう」
デミテルは、さも驚いたかのような素振りを見せ目を丸くする。
「ええ…。でも、私は途中で眠ってしまったので…」
夜も遅くに出発したので、私はあまり覚えていないんです。
デミテルの質問に対し、はにかみながらも少女はそう言葉尻を終えた。

 数分かはたまた数秒か。
お互いに会話が途切れた頃。
どう会話を続けようか思案していたデミテルはふと、荷物が満載されているソレを視界にとらえた。

「…見たところ、書物は魔術書が多いようですが…」
デミテルは目ざとく馬車に残されている本を眺め
見知った題目の本に視線を止める。そして
「どなたか、魔術師の方が身近に…?」
言葉巧みに本題に入ろうと自然に話題を切り替えたのだった。
「私も魔術師のはしくれとしてヴェネツィアで生業にしているものでして…」
ついつい、書物に目がいってしまって。不躾でしたらすみません。
デミテルはそう言うと、ふっと目を伏せ詫びる。
それに対し少女は慌てて首を横に振り
「いえ、そんな気にしないでください…!」
彼女は、別段気にしていないといった風情で笑顔を見せた。

「お兄さん、良く分かりましたね。
実はうちの両親ともに魔術の心得があって…それで、それに関する物が多いんです」
荷馬車に積まれている本をちらりと見やり、そしてまた視線を彼へと戻した。
「おや、そうだったのですか。
書籍から察するに、腕利きの魔術師なのでしょうね…。
ああ、申し遅れました。私はデミテルといいます」
以後、お見知りおきを。

彼は軽く会釈をしながら、名を名乗っていなかった非礼を謝罪した。
「デミテルさん…ですか。
あ、私はリア=スカーレットっていいます」
リアって呼んでください。

彼女はそう微笑むと、魔術書で気になるのがあるのなら私の両親に会って行きますか?
と小首を傾げながらデミテルに問いかけたのだった。

デミテルにとっては、またとないチャンス。
彼等は越してきたばかりで忙しいのは明白である。
どさくさに紛れて一家に潜り込むことは、己の魔力を使えば容易い事だ。
ハーメルに住む住人全てに暗示をかけるのも何の事は無い。

もしくは、荷卸しを手伝いつつそのまま一家に溶け込むことも可能だろう。
さて、どうしたものか…と、彼女が返答を待つ仕草を見ながら神算鬼謀を弾き出した。

「……そうですね…。荷運びで忙しいでしょうし、
これも何かの縁でしょう。魔術具の扱いには私も慣れておりますので
お手伝いいたしましょう」
魔術に関して貴女の御両親との百家争鳴は、荷解きが落ち着いてから存分にさせて頂ければ。
デミテルはリアにそう返答した。
「…!手伝ってくださるんですか?ありがとうございます…!」
リアはデミテルの申し出に破顔一笑し。
「どうぞ、入って!」
彼の手を取りグイグイと屋内に招き入れたのだった。

 それから数日後。
馬車に積まれた家財道具一式と術具など、全てを滞りなく解き終えスカーレット一家に束の間の平穏が訪れた。

「いやあ…、君のお蔭でだいぶ作業日数が短縮できたよ」
本当にありがとう、と、リアの父、
スカーレットはデミテルの手を取り握りしめ。
「娘から聞いたが、私の所有する魔術書に関心があるとか」
ハーメル近辺にも魔術師が居るとは思わなかったよ、と快活に笑んだ。

 デミテルにとって、スカーレット家に溶け込む千載一遇のチャンスが到来した…。
「御息女が筆記具を落とされて難儀していたところを通り掛かりましたもので。
その際に積み荷の書物につい目がいってしまい…」
お恥ずかしい限りです、とデミテルは控えめな態度をとるに至った。
「私も魔術師のはしくれ。魔術書にとても関心がありましてね…」
デミテルはスカーレットの手を握り返し。

顔をそっと近づけ…
「……貴方に恨みはないが、利用はさせて頂きますよ」
相手が聞き取れるか取れないかの小さな声でぼそっと呟くと、彼の目が怪しく光だし。

「…ん?」
スカーレットは聞こえなかったため聴き返そうとするも時すでに遅く。

「…おお、いかんいかん、もうこんな時間か。
デミテル、イエローキングスの内容で術式実験を行おう」
「承知しました、先生」
スカーレットはまんまと彼の策に嵌り。
デミテルはいつの間にかスカーレットの弟子として。
この一家に潜り込むことになったのだった…。

 デミテルが難なくスカーレット家に潜り込んでから早一月。

ハーメルの住人にも、スカーレット夫妻にも、その愛娘にも。
当初からいたかのように振る舞う事に不審がられることなくデミテルは日々、
師・スカーレットの元で術式の検証・記録に明け暮れる日々を送っていた。

デミテルの魔力…魔術の効果はそれほど威力があったのだ。

というのも。
彼はハーフエルフでもエルフの血縁者でもない。人間でもない。

そんな彼が何故魔術が使えるのか?
それは、彼が人ならざるもの…神々の敵…

魔族……魔界出身者であったからだ。
この事は、同じように人間界に紛れ込んでいる同胞数名のみにしか知られてはいない。

表向きには、祖先にハーフエルフがおり、それが元で魔術師を生業にし術が使えるとして
人間界にとある目的をもって潜り込んでいたのだった。

 その目的とは。
人間界を魔界に変え、天界へ攻め入る土台とすること。
しかし、人間の住む地上にはマナが満ち溢れていた。

マナは、魔族にとってはその存在を脅かす劇薬…猛毒にしかなりえない。
その為魔族たちは、人間界に存在するマナを消し去るために
その工作員…先兵として地上に元からいるものとはまた違う魔物を送り込み、
その統治として中流階級から上流階級に属する高位魔族である精鋭数名をも送ったのだった。

デミテルもその中の一人だったのである。
彼はヴェネツィア近隣を中心に潜り込んでいたが、他の同士はと言うと。
何やらキナ臭い実験を行っていると魔族の中でまことしやかに噂さされていたミッドガルズに潜伏している者もいた。
その者の情報によれば、ミッドガルズはマナを大量に消費する科学を発明・実験しているとの事で。
うまく手助けしてやれば問題になっている厄介なモノは消滅。
人間界は晴れてめでたくマナが枯渇し、負の感情に流されやすい人間など容易く操ることも可能であり尚且つ、魔界へと変えることも何ら支障はない。
天界侵攻の土台として立派に機能するだろうという。

 ただ、順調に物事が流れていたのだが、ここにきて懸念材料が出たとのことだった。
マナを大量に使用する技術…魔科学の裏事情に気付いてしまった人物が数名居り、
その何名かが雲隠れしてしまったのだという。

さすがはエルフの血脈を受け継ぐ者達といったところか。
「ハーフエルフと言えど人間、飼いならすのは至極簡単な事だと思っていたが、
引き起こされるであろう事態を嗅ぎ付ける奴がいたとはな。少し侮っていたようだ」
と、その研究に潜り込んでいた者は長嘆息をつき。
「こちら側に潜伏していた研究者は抹殺したが、ミッドガルズから逃げ切ったものが
そちらに流れ込んでいる事もあるだろう。見つけ次第、場合によっては殺せ」
そう、デミテルに指令を出していたのだった。

 そして…。
偶然にもハーメルに用事があってヴェネツィアから下ったときに、デミテルは件の人物に遭遇し
現在に至るのであった。

 スカーレットとの魔術に関しての百家争鳴はデミテルにとっていつからか、とても有意義な時間となっていた。
彼の愛娘、リアは意外にもデミテルにとても懐き。
他愛もない日常の話や、親が携わっている研究の話などで会話する機会も増え。
彼女にとってデミテルは年の離れた兄のような存在になっていったのだろう。
いつしか本当の家族のような錯覚までをもデミテルは抱くほどになっていた。

それ故、ミッドガルズに潜伏している同胞…デミテルより爵位は高い為、立場的には人間界に紛れ込んでいる同胞達の上司にもなる男の命令に従うのが少し憚られたのだった。

元々デミテルは、魔界に居る本来の上司が人間との共存を考えてもいる穏健派の出身。
仮初めの師弟関係とはいえ師匠を手にかけることに抵抗感があったのだ。
「……」
何か良い策はないものか…

デミテルは眉間にしわを寄せ。顎には手を当て、どうしたら師を二桃三士せずに済むか…と思い悩んでいた。

「…?デミテル、どうしたの?」
リアは書斎にある本棚の目前で渋面を浮かべている彼を廊下から見かけ、
彼からただならぬモノを感じたのか心配して声をかけたのだった。
「父さんと何かあった…?
それとも、実験に何か問題でも…?」
彼女は心配そうにデミテルを見詰め、何処か落ち着かない様子を見せた。

それに気付きデミテルは平静を装い彼女に向き直り
「これは御息女。
いえ、特に問題は有りませんでしたよ」
にこりと笑みを浮かべ、彼女の問いに答えるのだった。
「もう…。私の事はリアって呼んでって言ってるのに」
彼の返答に対して彼女は、自分の名ではない畏まった呼び方に不満を感じ頬をぷくっと膨らませた。
「…そうは言っても、師の娘である貴女をそう呼ぶのは…」
「リアって呼んで」
デミテルが尚もそう言い張るのに対しリアも一歩も譲らない。
「……」
「………」
お互いに無言になりながらも、相手から決して目は逸らさなかった。
どのくらいの時間、そうしていただろうか。
数秒であったかもしれないし、そうではないかもしれない。
「……分かりました。リア」
先に動いたのはデミテルの方だった。
彼女の不満顔に根負けしたのであった。
それに対しリアは表情を一変し、笑顔を見せる。
「やっと名前で呼んでくれた」
満足そうにその場でぴょんと軽く跳ね上がる。
その仕草はやはり14歳らしい年頃そのもの。どことなく微笑ましい光景だった。
「ねえねえデミテル。難しい顔していたけど何かあったの?」
普段と変わらぬ素振りで彼女は再び彼に問いかけたのだった。
「いえ…ちょっと考え事をしていたもので…」
「どんな?」
「それは…私独自で研究している理論に関してなので。
詳しく話す訳にはいかないのですよ」
困ったように眉を下げデミテルはリアからの問いに申し訳なさそうに答えた。
「そっか…。そうだよね、無理に聞こうとしてごめんなさい…
なんだかちょっと心配になっただけだから、気にしないで?」
リアは少し寂しそうにそう言うと、デミテルが居た書斎から離れるのだった。

「………」
彼女が書斎から立ち去って行く姿を見ながらデミテルは、誰ともなしにぼそりと呟いた。
「……言える訳など…無いじゃないですか…」
──…貴方達一家を手にかけなければならない…なんて。
デミテルはその言葉を胸に仕舞い込んだ。

スカーレットとの魔術談義は本当に楽しい時間である。でも、しかし。
こと、魔科学の事に関してになるとそうも言ってはいられない。
彼はどうやらミッドガルズが推し進めている魔科学の並々ならぬ危険さに気付いている。
あまつさえ、その危険性をミッドガルズ以外の他国にリークしようかと考えているような節もあったのだ。
これはミッドガルズに潜んでいる者達や、各地に散っている同胞にとっては都合が悪すぎる。
「…ええい、忌々しい…」
デミテルは珍しく苛立った素振りを見せると書斎の壁をダンッ!!と打ち付けた。

 鶏鳴の刻。
デミテルが間借りしている一室にある姿見が怪しく光を放っていた。
「……」
デミテルはそれに気付くと、ため息を一つ漏らし鏡に向き合う。
すると、そこには己の同胞の姿が浮かび上がっていた。

朱色の髪に妖艶な女性の姿、頭には角があり彼女が着ている服の裾からは尾が見えその背には悪魔特有の翼があった。
「お久し振りですね、ジャミル」
デミテルは鏡の中にいる彼女に声をかけた。
「なーにそんな悠長な挨拶かましてんのよ」
それどころじゃないわよ、とジャミルは少し語気を荒げた。
「あんたの師匠、どうやらあたしが潜り込んでるアルヴァニスタの王室に
魔科学の事タレこむつもりのようよ」
あたし独自の情報源からの報告が入ったから間違いないわ。

事も無げに彼女はそう言い放ったのだった。

「…そうですか…」
ジャミルの報告にデミテルは顔をしかめ、どうせ抹殺の催促にでも来たのだろうと溜息をついた。
「ミッドガルズに残ってるジェストーナがお冠よ?
いつになったら事に移すのさ」
ここで魔科学研究が途絶えたら今までの苦労が水泡に帰す。
あんたもそれ分かってるでしょ?

ジャミルはそう苦言を呈した。
「……貴女から急かされるとは私も落ちたものですね」
「…なんですって?」
「…いえ、なんでも?」
デミテルの煮え切らない態度にジャミルはギロリとにらみを利かせる。すると、
彼はやれやれといった風情で盛大に溜息を吐くと姿見越しに彼女をじっと見つめ返した。
「…。まあいいわ。
あんたがやらないなら、あたしがあんたの師匠を手にかけるまでよ?
アルヴァニスタ入国目前にね…」
──…縋れる希望目前にして命を絶たれ逝く、その絶望の様を鑑賞しながら…ね
くすくすと彼女は笑みを溢した。
「…!」
彼女はどちらかと言うと魔族の中でも過激派である。人間の事など、ただの利用できる駒としか思っていない。
それは魔族としては至極まっとうな性格と言うべきか。
「……。貴女の手を煩わせるなどしませんよ、ご心配なく」
デミテルは吐き捨てるようにそう呟くと鏡に背を向けた。
「…他の誰かに殺させるくらいなら、私の手で命を刈り取りますよ」
彼が苦々しくそう言い放つとジャミルはニヤニヤとその背を見詰め。
「あっそ…。あたしはどっちでも良いけど。
…しくじらないでよね?」
心底楽しそうにジャミルはそう言い放ち、せせら笑うと鏡から姿をゆらりと消していたのだった。

「………」
デミテルは、消えゆくその姿を肩越しに見据え。
完全に元の鏡に戻ったのを見計らうと忌々しげに舌打ち、
憤りを隠しもせずに読みかけだった書籍を床に叩きつけたのだった。

 その時である。
──…コンコン

デミテルの部屋のドアを控えめにノックする音が響いた。

デミテルは慌てながらも平静を装い、普段の表情を瞬時に面に貼り付けるとドアを開く。
そこに居たのは寝惚け眼を擦りながら廊下に佇むリアだった。
「……おおきな物音がしたけど…」
うとうとしながら彼女がデミテルに、なにかあった?と問うと彼はゆっくりと首を横に振り。
「いいえ…?ただ、読み止しの本をうっかり落としてしまっただけですよ。
見た所、リア、貴女喉でも渇いて目が覚めたんですか?」
キッチンで何か飲んでからゆっくり休みなさい

デミテルがそう促すとリアは
「うん…そう…。お水飲んだらすぐ寝るね」
──…おやすみ…

と、眠くておぼつかない足でふらふらと廊下を歩いて行った。

 その姿を見送った後。
デミテルは部屋に戻り、あと数日でこの偽りの生活が終焉を迎えるのだ…と歯噛みした。

 本当は手にかけたくなどない。
何故彼等を殺す道しか残されていないのだ。
何故、何故!何故…何故…。

スカーレットが魔科学の危険性を見抜いていなければこうはならなかったのかもしれない。
師匠が魔科学の事を忘れ、ただの一般人として隠れ暮らしていけばこうはならなかったのかもしれない。

何故…何故…何故…。

そうは言っても結果論にしかならない。
自分は監視の名目でこの家に潜り込んだのだから。

デミテルはそう己に言い聞かせて唇を噛み締めた。
手はきつく握りしめ爪が掌に食い込む。肩は震えていた。

 数日後の夜半。
スカーレット一家は慌てた様子で漸く住み慣れた、ハーメルでの家をほうほうのていで飛び出し。
ローン島に向かう橋を渡り切った先で山の斜面が崩れ落ちた…。
山崩れに巻き込まれた夫妻は即死。
恐らくは、愛娘の彼女も……。

 殺したくは無かった。
でも、他のやつに命を奪わさせるくらいなら…

そう考えても後の祭り。
もう、彼は師一家を不帰乃客にしてしまったのだから…。

 一家が事故死として処理された数日後。
ハーメルの街も何者かの手によって壊滅の道へと歩んでいった。

真相を知るものは誰も居ない。
ハーメルは焦土と化してしまったのだから…。

2016.3.13 了
2024年6月29日 修正 了